続・東京鉄道遺産 6 飯田町駅跡
2021年 07月 27日
飯田橋駅の水道橋駅寄りに、
飯田町駅が甲武鉄道によって
明治28年(1895)に開業した。
明治42年測図の地図には、
「いいだまち」の駅名に、
御茶ノ水駅までの線路と
飯田町駅留めの線路が記されている。
駅記号の下には、
駅舎など構内の建物や側線がある。
神田川から分流した日本橋川の
新三崎橋付近から見たのが上の写真。
写真中央の高架部分が地図のストップ線、
そして左側のビルが地図上の建物(駅舎)
に相当するようだ。
このビルは大和ハウス工業の東京本社で、
以前はJR貨物の本社もこのビルに
一緒に入っていた。
(現在、JR貨物本社は渋谷区千駄ヶ谷に
移転している。)
飯田橋駅東口から線路の南側沿いの道を
水道橋方面に進むと、
道は右側にカーブしている。
その先に、飯田町駅跡に建つ
大和ハウスのビルが見える。
カーブを描いているのは
本線から分岐して貨物構内に入る
線路のカーブの名残りのようだ。
飯田町駅は
飯田橋駅開業で旅客扱いを廃止し、
貨物専用駅として残った。
昭和47年(1972)、周辺の印刷会社
・新聞社などの需要にこたえるため、
貨物駅構内に「飯田町紙流通センター」
(地図上の赤枠線)を開設し、
紙専用列車の運転をはじめた。
国鉄民営化により受け継いだJR貨物は、
新座貨物ターミナル駅と隅田川貨物駅の
構内に紙流通センターを新設し、
飯田町駅の機能を移転した。
これにより、
飯田町駅での貨物輸送の需要はなくなり、
平成11年(1999)に104年の歴史に
終止符を打った。
その駅跡は、JR貨物による再開発街区の
「アイガーデンエア」が整備された。
駅舎跡の北街区は
大和ハウス本社ビルなどがある。
貨物構内跡の中央街区は(上写真)
ホテル・アイガーデンテラス(商業施設)
・カーデンエアタワー(オフィスビル)
などが建っている。
ここで、食事やショッピングができる。
また、飯田町紙流通センター跡の南街区には
4棟のオフィスビルが建っている。
飯田橋駅方面から入る中央街区の
飯田橋エントラスには線路のモニュメント
が伸び(約100m)、
商業施設の玄関などに導いている。
中央街区のエントラスタワーの3階に
ゼロキロポストのレプリカが設けられ、
ここから下に敷かれたモニュメントの
レールが見え、
駅跡らしい雰囲気を演出している。
ゼロキロポストが3階にあるのは、
貨物駅が高架になっていたためで、
ポストは飯田橋駅方向を指している。
この一角は緑が多い。それもそのはず、
周辺の小石川後楽園、靖国神社や皇居に
延びる緑と連携して、
環境創造型の高層複合都市を目指して
つくられたといことだから。
飯田橋駅東口前の目白通り(都道8号線)
から九段下に向かう歩道は、
飯田橋商店街振興組合の手によって
「歴史プロナード」と名付けられ、
歴史の建物などを案内する標識
が立てられている。
「甲武鉄道・飯田町駅」の標識が建っている
はずの場所では、道路・歩道の工事が
おこなわれていた。
そのため取り外されているのか、
周辺を見渡しても見当たらなかった。
主な参考文献
「東京消えた全97駅」
中村健治著 イカロス出版
「東京の鉄道名所さんぽ100」
松本典久著 成美堂出版
「明治前期・昭和前期東京都市地図」
清水靖夫編集 柏書房
「東京都地図地名総覧1996」
人文社編集部編集 人文社
HP「アイガーデンエア」 http://www.i-gardenair.com/
HP「日本の鉄道貨物輸送と物流」~紙輸送 http://butsuryu.web.fc2.com/paper.html