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東京鉄道遺産9 請地の機関庫跡


 東京鉄道遺産100の「駅の跡」に、東京スカイツリーが建つ場所にあった貨物ヤード・機関庫跡が入っている。

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 東武鉄道の貨物ヤードや機関庫は、平成5年に廃止された。
 その跡地に、東京スカイツリーの建設が平成20年(2008)着工し、平成24年(2012)に竣工した。

 このあたりは請地といわれる地名だったため、貨物ヤードや機関庫があったところを一般に「請地の機関庫」と呼ばれていたという。

東京鉄道遺産9 請地の機関庫跡_b0338976_14393519.jpg

 写真中央下を電車が走っているのは東武スカイツリーラインの本線、その右側が電留線、反対の左側がタワー下で東京スカイツリータウンがあり、「請地の機関庫」と呼ばれていた機関区、貨物ヤードがあったところになる。
東京鉄道遺産9 請地の機関庫跡_b0338976_14393463.jpg
 この写真正面がスカイツリータウンの東側で、左側にスカイツリーの足元が見える。
 このあたりが機関庫や貨物ヤードあったところにあたるようだ。


 かって、請地という名の駅がふたつあった。
 ひとつは東武鉄道の駅で、現在のとうきょうスカイツリー駅と曳舟駅の間にあった。
 もう一つは、京成電鉄が京成請地駅を開業し東武との乗換駅とした。
 しかし、実際の乗り換えは業平駅(現在の、とうきょうスカイツリー駅)と押上駅でおこなうことが多く、利用者は少なかったそうだ。そのためか、両駅とも廃止された。

 その場所は、東武は伊勢崎線第2号踏切、京成は押上から地上に出た付近だったという。
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 写真は東京スカイツリータウンから見た曳舟方面の景色。
 写真中央に横に伸びる踏切道が見える。この踏切が伊勢崎線第2号踏切。京成線が地上にでるのは、踏切よりやや北側(写真では高架を走る電車の位置付近)にあたる。
 この付近は、押上駅から北東側へ約400mで、駅間の短いところに二つの請地駅があったことになる。


 東京鉄道遺産100が、雑誌「東京人」に掲載されたのは2012年の3月号で、東京スカイツリーが竣工した時期に発刊している。
 あれから6年、周りも整備され、変わってきている。

 とうきょうスカイツリー駅、東京スカイツリータウンや押上駅付近をまわったが、貨物ヤードや機関庫があった痕跡を見つけることはできなかった。
 わずかに当時の面影が残っているのが、下写真のコンクリ塀だろう。
東京鉄道遺産9 請地の機関庫跡_b0338976_18530715.jpg
 電流線沿いにある塀で昔のままのようだ。線路の向こうに見える世界とは一線を画しているような雰囲気がする。
 駅の案内表示が真新しく見える。よく見ると、昔の案内板の上に、駅名を書き直し張り付けたようだった。

 遺産の名残りはもうないのか・・・
 東京スカイツリーが、遺産「請地の機関庫跡」の証となるのだろうか。




by ken201407 | 2018-07-15 19:17 | 東京鉄道遺産

徒然にデジカメで撮った写真を掲載します。


by ken201407
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