東京鉄道遺産9 請地の機関庫跡
2018年 07月 15日
東京鉄道遺産100の「駅の跡」に、東京スカイツリーが建つ場所にあった貨物ヤード・機関庫跡が入っている。
東武鉄道の貨物ヤードや機関庫は、平成5年に廃止された。
その跡地に、東京スカイツリーの建設が平成20年(2008)着工し、平成24年(2012)に竣工した。
このあたりは請地といわれる地名だったため、貨物ヤードや機関庫があったところを一般に「請地の機関庫」と呼ばれていたという。
写真中央下を電車が走っているのは東武スカイツリーラインの本線、その右側が電留線、反対の左側がタワー下で東京スカイツリータウンがあり、「請地の機関庫」と呼ばれていた機関区、貨物ヤードがあったところになる。
この写真正面がスカイツリータウンの東側で、左側にスカイツリーの足元が見える。
このあたりが機関庫や貨物ヤードあったところにあたるようだ。
かって、請地という名の駅がふたつあった。
ひとつは東武鉄道の駅で、現在のとうきょうスカイツリー駅と曳舟駅の間にあった。
もう一つは、京成電鉄が京成請地駅を開業し東武との乗換駅とした。
しかし、実際の乗り換えは業平駅(現在の、とうきょうスカイツリー駅)と押上駅でおこなうことが多く、利用者は少なかったそうだ。そのためか、両駅とも廃止された。
その場所は、東武は伊勢崎線第2号踏切、京成は押上から地上に出た付近だったという。
写真中央に横に伸びる踏切道が見える。この踏切が伊勢崎線第2号踏切。京成線が地上にでるのは、踏切よりやや北側(写真では高架を走る電車の位置付近)にあたる。
この付近は、押上駅から北東側へ約400mで、駅間の短いところに二つの請地駅があったことになる。
東京鉄道遺産100が、雑誌「東京人」に掲載されたのは2012年の3月号で、東京スカイツリーが竣工した時期に発刊している。
あれから6年、周りも整備され、変わってきている。
とうきょうスカイツリー駅、東京スカイツリータウンや押上駅付近をまわったが、貨物ヤードや機関庫があった痕跡を見つけることはできなかった。
わずかに当時の面影が残っているのが、下写真のコンクリ塀だろう。
駅の案内表示が真新しく見える。よく見ると、昔の案内板の上に、駅名を書き直し張り付けたようだった。
遺産の名残りはもうないのか・・・
東京スカイツリーが、遺産「請地の機関庫跡」の証となるのだろうか。
by ken201407
| 2018-07-15 19:17
| 東京鉄道遺産