鬼平を歩く「雲竜剣」④ 根岸の里、亀戸天神

『雲竜剣』4回目の今回は、クライマックスの「第七章 秋天清々」から、根岸地区と亀戸天神の舞台を訪ねた。
 
   盗人宿・茶店〔ひたちや〕・・・ 亀戸天神門前(江東区亀戸3丁目)
   医者・坂本宗英の寮   ・・・ 根岸の里(台東区根岸4)
   盗賊改方の連絡所    ・・・ 西蔵院 (台東区根岸3丁目)
       

◎ あらすじ
 盗賊改方同心の二人と門番が、たて続けに殺害され、薬種屋・長崎屋が兇賊の襲われる事件が発生した。
 この事件の半年前、長谷川平蔵は、金杉川の将監橋の近くで、雲竜剣を使う曲者に襲われていた。長谷川平蔵は亡き恩師・高杉銀平先生が雲竜剣の使い手・堀本伯道と牛久沼で立ち会った話を聞いたことを思い出す。そして、一人目の被害者の同心の傷口は、雲竜剣によるものだった。
 そのころ、盗人の鍵師が「仕事で常陸の藤代へ行く」という情報を入手した。 鍵師の助次郎は、藤代から江戸へもどり、それから南湖へ行く。そこへ、堀本伯道が現われる。その後、助次郎は小田原城下で合鍵づくりを始める。そして、堀本伯道は江戸へ向かう。それらの動きはすべて、盗賊改方は同心・密偵による追跡で把握していた。と同時に、各地にいた同心・密偵たちも江戸に戻ってくるのでした。
 平蔵は、高杉先生の話しで堀本伯道が丸子から来たと言っていたことを思い出し、自ら丸子へ赴く。堀本伯道の道場があったが、今は中島桐之介が道場主だった。そして、道場から出て来た二人の浪のあとを追い、江戸にもどるのだった。


1 剣客が集まる根岸の寮
 『 昨日、丸子の中島桐之介道場を出て江戸へ入った二人の剣客が、下谷の根岸の奥にある、どこかの寮(別荘)へ姿を消したというので、盗賊改方では、同心・岡村啓次郎と桑田伴造の二人に、大滝の五郎蔵以下三名の密偵をつけ、昨夜から見張りをさせている。
    (中略)
 「件の寮は、根岸の奥の方の金杉新田の外れにございまして、近辺には、あまり人家もありませぬ」
    (中略)
 権爺が佐嶋に告げたところによると、件の寮は以前、芝の田町にある畳表問屋・伊勢屋半蔵のもちものだそうだが、二年ほど前に
 「なんでも、どこかの御医者様が買い取られたという、うわさを聞きましてございます」
 』
 
 クライマックスの舞台とる根岸の奥・金杉新田が、現在どのあたりになるのか?
 江戸切絵図では、「御行の松」(現在:台東区根岸4丁目)と円光寺(同:根岸3丁目)の北側に川があり、その川の北側に金杉新田と記されている。いまは川は埋め立てられ散るが、台東区根岸3・4丁目と荒川区東日暮里4丁目にまたがっているように思える。
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 御行の松は、江戸名松の一つで、現在は三代目の松が不動堂の境内にある。
 根岸の寮は、富裕町人の別荘のことで、墨客文人が多く住んでいたという。俳人正岡子規の旧居(現:子規庵)が根岸2丁目にあった。また、子規の歌碑が不動堂境内に建っている。
 現在のこの付近は、家が新しく立て替わり、昔の面影はほとんど残っていない。

 この寮には、堀本伯道の息子・虎太郎が医師・堀本宗英と名乗って、配下と共に根城としていた。
 虎太郎一味が、盗賊改方の同心・門番を殺害し、混乱の乗じて長崎屋へ押しこみ皆殺しをしたのだった。



2 寮の見張り所・稲荷の祠
 『 大滝の五郎蔵が見つけてきたのは、寮と道をへだてたところにある稲荷の祠であった。
 いや、祠の傍の小屋であった。
 つまり、これは、稲荷の祠をまもり、清掃を怠らぬことを条件に、金杉新田の百姓町屋が老爺を一人、住まわせていたのである。
 』
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 金杉新田と想定した台東区根岸3・4丁目と荒川区東日暮里4丁目には、石稲荷(根岸4丁目)と靍護稲荷神社(東日暮里4丁目)のふたつの稲荷社があった。
 どちらを舞台としたかは不明。
 靍護稲荷神社は、松坂屋流通センターの傍にあり、文化十二年(1825)に山城伏見から勧請し、根岸一帯の信仰を蒐めている。1925年の日暮里大火のとき、神社や隣の松坂屋社宅が無事だったことから、火伏せや商売繁盛をの守り神として銀座と上野の松坂屋屋上に分社が創建している。



3 亀戸天満宮門前の盗人宿〔ひたちや〕
 『 日暮れ前に、堀本伯道を尾行して行った酒井祐助からの報告が、役宅へとどけられた。
 伯道は江戸市中へ入ると、にわかに足の運びを速め、亀戸天満宮の門前にある〔ひたちや〕という茶店へ入ったという。
 酒井は、その茶店こそ、伯道の〔盗人宿〕の一つにちがいないと見きわめをつけ・・・
    (中略)
 この日の暮れ方に、根岸の寮から出て来て、何処かへ出かけたという老爺は、夜に入って、何と、亀戸天神門前の茶店〔ひたちや〕の前へあらわれたではないか
 』
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 亀戸天神社は、菅原道真公を祀り、江東区亀戸3丁目に所在している。
 境内での梅まつり、藤まつり、菊まつりが有名で、毎年この時期には多くの参拝客訪れている。
 現在の門前は、鳥居のすぐ前に蔵前橋通があり、門前の参道は短い。

 根岸の寮の老爺は、虎太郎の父・堀本伯道に、虎太郎のこれまでの兇状と次の計画が三日後にあると知らせに来たのだった。


4 盗賊改方の連絡所・西蔵院
 『 昨夜のうちに佐嶋忠介は、怪しい寮(別荘)を見張るための根城として、根岸の西蔵院というお寺へはなしをつけ、それまで六郷屋敷に詰めていた盗賊改方を西蔵院へ移した。 』

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 西蔵院は、台東区根岸3丁目に現存する、天正19年(1591)以前に創建された真言宗のお寺。
 御行の松のある不動堂は、西蔵院の境外仏堂となっている。



5 再び、根岸の寮
 『 寮の門前で、堀本伯道がたちどまり、ゆっくりとあたりを見廻したとき、門の扉がわずかに開き、昨夜、亀戸の〔ひたちや〕へおもむいた老爺が伯道を迎い入れ、入れちがいに門の外へ出て来たかとおもうと、小走りに金杉新田の町屋の方へ駆け去った。 』 

 この様子を、稲荷社の小屋の中から長谷川平蔵以下同心と密偵が見ていた。

 堀本伯道は剣術家であり、医師でもあった、さらに盗賊の首領でもあったのだ。
 盗んだ金を、貧しい人たちの病気治療などに当てていた。最後の盗みとする深川佐賀町の足袋問屋・尾張屋へ入る前に、息子を成敗をするためここへ来たのだった。

 この親子対決を、長谷川平蔵は木陰から見て、すべたが腑に落ちたと思った。
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 写真は御行の松・不動尊の近くで見かけた立派な門構えの家。当時の面影を残す門構え。門の内はコンクリ造りの建物でした。
 物語とは、何ら関係がありませんので御承知ください(念のため)。

 昔は、このあたり根岸の里、根岸の別荘、根岸の隠居所などと言われていたそうです。
 そして、「根岸の里詫び住い」ということばは、頭に季語をつければ、すぐに俳句ができる句としてよく知られている。


 三カ月ぶりに、鬼平犯科帳の舞台を訪ねた。
 都内は、ほぼ歩きつぶした幹事はするが、取り上げた物語は全体から見るとまだわずかである。
 同じ町が出ても、設定場所は同じとは限らないので、同じ町に何度も行くことがあった。それはそれで、また新しい発見ができるので楽しい。
 また、行くまでに調べるのがまたおもしろいし、勉強にもなる。
 来年は、できるだけ、重複しない場所を選んでみよう……。




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by ken201407 | 2017-12-30 12:56 | 鬼平犯科帳 | Comments(0)

徒然にデジカメで撮った写真を掲載します。


by ken201407
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