鬼平を歩く「雲竜剣」① 高輪~芝・赤羽橋

 今回は、シリーズ最初の長編で第15巻に所収された『雲竜剣』を取り上げた。
 舞台は、都内および周辺都市の広範囲に広がっているが、都内に限定して訪ねた。それを4回に分けてアップする、今日はその第1回目。


◎ あらすじ
 盗賊改方同心の二人と門番が、たて続けに殺害された。
 二人目の同心の遺体が発見された夜、薬種屋・長崎屋が兇賊の襲われる事件が発生した。主人夫婦以下、家族・奉公人あわせて十六人が殺害され、二千両余りが強奪された。
 そのころ、盗っ人の鍵師が「仕事で常陸の藤代へ行く」という情報を入手した。
 これらは、バラバラのようであり、正体不明の敵に手がかりがなく、盗賊改方は苦慮するのであった。
 この事件の半年前、長谷川平蔵は、金杉川の将監橋の近くで、雲竜剣を使う曲者に襲われていた。一人目の被害者の同心の傷口は、雲竜剣によるものとみた、長谷川平蔵は亡き恩師・高杉銀平先生の話しを思い出すのでした。
 それから、盗賊改方の探索は、東は常陸の牛久沼・藤代から、西は南湖・小田原城下、北は武蔵の国・丸子宿と広範囲に及んだ。


 1回目の今回は、「第一章 赤い空」から、長谷川平蔵が雲竜剣の使い手から襲われたときに歩いたルートをたどってみた。
 この章のあらすじは、雑司ケ谷の茶屋で元盗賊で今は密偵になっている平野屋源助を待っていた。その間にうたた寝をし、半年前に、雲竜剣に使い手に襲われたときのことを夢に見て、うなされていた。自分の絶叫で目が覚めたときに、同心・片山慶次郎が殺害されたとの報を受けるのでした。
 
 訪ねたルートは、芝・二本榎の細井邸~伊皿子坂~東海道~本芝二丁目~西応寺町の法泉寺~将監橋~織田安岐守屋敷の塀外~赤羽橋。


1 旗本・細井邸から本芝二丁目
 『 二本榎の細井家を訪ねた平蔵は、
   (中略)
 日暮れ前に細井家を出た平蔵が、伊皿子から坂を東へ下り、東海道筋を本芝二丁目へ出て、桐屋という小体な気安い料理屋へ入ったのは七ツ半(午後五時)ごろであったろう。
 』

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 二本榎の細井邸は、東海大学高輪キャンパス前(上写真)付近にあたる。
 2016年1月27日更新の「本門寺暮雪」(http://ken201407.exblog.jp/25295737/)で詳しく述べている。

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 平蔵がたどったルートを現在に置き換えると、高輪キャンパス前の二本榎通を三田方面(写真奥)へ進む。

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 伊皿子交差点を右に曲がり伊皿子坂(上写真)を下り、第一京浜国道に出る。

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 そのまま北上し、芝4丁目に向かう(写真左奥)。


2 桐屋から将監橋
 『 桐屋を出た平蔵が、東海道から左へ切れ込み、入間川へ懸かる橋をわたった。
 その橋をわたり切った、向うの草むらで片山慶次郎の斬殺死体が発見されたわけだが、半年を経て、そのような事件が起ころうとは、それこそ夢にもおもわぬ。
 橋をわたり、西応寺町の道を北へ行けば、将監橋だ。
 』
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 第一京浜国道沿いにある〔桐屋〕を出て、芝四丁目の交差点に向かう。
 その交差点手前に左にはいる小路(写真中央)がある。この道を抜けると芝四丁目交差点からの道路にでる。

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 入間川は、今は埋め立てられて、第一京浜国道の芝四丁目交差点から西に入る道路になっている(写真左右に延びる道路)。

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 入間川跡の道路をわたり、芝商店街を進む道は、第一京浜国道の芝四丁目交差点手間から国道と並行する。これをまっすぐ進むと将監橋に至る。

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 西応寺町は、西応寺の周辺で、お寺の名前を冠した町名。
 安政六年(1858)にオランダ公使館が、西応寺内に設置された。その場所は、西応寺幼稚園(写真中央より右側)のあたりと現地の案内板に書かれていた。
  
  
3 片山同心の惨殺死体の発見場所
 『 片山同心は、(土地では入間川とよんでいる)その入り堀の中程に懸かった橋の北側の、法泉寺・塀外の草むらの中に伏し倒れていた 』

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 入間川跡の道路をわたり、芝商店街に入るとすぐ左手に法泉寺がある。
 同心・片山慶次郎の斬殺死体が見つかった場所は、芝商店街の入口から法泉寺までの間とされている。
  
 
4 将監橋
 『 平蔵は、将監橋のたまとを左へ曲がった。
 来たときと同じく赤羽橋をわたるつもりであった。
 右手は金杉川に沿った草地。
 左手には大名や武家の屋敷が建ちならぶ道だけに、・・・。
 』

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 将監橋は、金杉川(古川)にかかる橋で、金杉橋の西側にあり、さらに西側のふたつ先が赤羽橋である。
 長谷川平蔵は写真の将監橋を渡らず手前を左側に進む。
 
 
5 平蔵が襲撃をうけた場所
 『 ちょうど、大和の国・柳本一万石の大名織田安岐守屋敷の塀外へさしかかったときである。
 その土塀の中から抜け出たかのように、黒い男の影がすっと路上へあらわれた。
 』
 

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 江戸切絵図によると、織田安岐守屋敷は将監橋と赤羽橋の間にある。
 現在の場所については、地形から推測すると、写真中央の道路より左側のビル街の一角と思われる。中央の道を奥に進むと赤羽橋、写真右側には当時なかった芝園橋がある。
 
 
6 赤羽橋
 『 落ちていた提灯を拾ってから、平蔵も赤羽橋のほうに向い、橋の南詰の新網町代地の角にある蕎麦屋で火を入れてもらった。
   (中略)
 今度は、いささかの油断もなく赤羽橋をわたり、わざと暗い道をえらんで役宅へ帰り着いたのだが、曲者は二度とあらわれなかった。
 』
 
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 写真左側の高架下に赤羽橋がある。
 平蔵は、右側から来て、交差点を右に曲がり、赤羽橋を渡って役宅へ帰った。
 提灯に火を入れた蕎麦屋の新網町代地は、右手前のビル街(港区芝3丁目15~16番地)になる。
 
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 現在の赤羽橋は取り替えられ、以前の赤羽橋の親柱は、現在の橋の南詰に残っている。
 

 
 同心・片山慶次郎の傷口を見た長谷川平蔵は、雲竜剣の使い手によるものと思った。
 今は亡き平蔵の師・高杉銀平先生が雲竜剣の使い手・堀本伯道と立ち会った時の傷と同じだったのだ。立ち会ったのは、牛久沼のほとりだったという。
 それから、平蔵は先生との話の思い出すが、二十数年前のことなので、なかなか一気に思い出すことができない。
   
 そして、その翌日、同心・金子清五郎の殺害の報が入るのでした。
 
 


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by ken201407 | 2017-12-27 11:39 | 鬼平犯科帳 | Comments(0)

徒然にデジカメで撮った写真を掲載します。


by ken201407
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