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小名木川・塩の道~大島をゆく(1)

  小名木川は、徳川家康が江戸幕府を開いたとき、千葉行徳の塩を運ぶため開削された運河です。
  隅田川から旧中川までの直線の川で全長約4.6kmです。
  旧中川側から中程の横十間川との交差する所までの両岸を整備し、散策ができる「塩の道」になっています。
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  この区間の北側(写真右側)は江東区大島、南側は江東区北砂、中央奥は日本橋のビル群です。

  今回は、大島の町を旧中川側から小名木川沿いに散策しました。
 
  大島は江戸時代から鋳物が、明治以降には化学肥料工業など諸工業が盛んで、小名木川は物流経済に大きな役割を果たしてきました。

  工業用水として地下水の過剰な汲みあげで地盤沈下が進行し、ゼロメートル地帯と言われています。都営地下鉄大島駅のA2出入口には「この出入口は海抜約-2.1m」の表示があります。
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  大島は東に旧中川、西に横十間川、北に竪川、西に小名木川と四方を川に囲まれた地区です。昔は、東京湾に浮かぶ孤島をなしていたのではと言われています。

  東大島駅をスタートして、中川船番所資料館 、塩舐め地蔵(宝塔寺、大島稲荷神社、小名木川旧護岸、 釜屋の渡し跡、クローバー橋、釜屋堀公園などを巡りました。 (散策日以外の日に撮影した写真を一部使用しています。)


◎ 東大島駅
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 都営新宿線東大島駅は旧中川の上にあり、旧中川の東西両サイドに改札口(小松川口と大島口)があります。
  駅の南側に車両基地(大島車両検修所)がありますが、地下のため地上からは見えません。しかし、新造車両の搬入口が駅の南側にあります。
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  トレーラーで陸送されたきた車両は、クレーンで地下の車両基地に搬入します。逆に廃車される車両も、ここでクレーンで搬出されます。


◎ わんさか広場(大島小松川公園)
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  地下鉄車両搬入口の横にある公園で、大島地区唯一の海抜より高いところで、災害時の避難場所となっています。


◎ 中川船番所資料館
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  当初、隅田川寄りの萬年橋そばに船番所が設けられましたが、通航量の増加により寛文元年(1661)に中川側に移されました。その場所に、中川船番所資料館が設けられ、中川番所再現ジオラマや関連資料などが展示されています。
  また、この地に「旧中川・川の駅」が2013年に開設しました。
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  上記写真は水陸両用バス「スカイダック」で、東京スカイツリー発着と亀戸梅屋敷発着の2コースがあり、どちらも旧中川が水上運行コースになっています。
  写真左側に階段が見えます。この付近に閘門がありました。閘門の先が新川で行徳まで繋がっていいました。
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  上記は、明治42年ころの地図です。小名木川は中川を渡って、新川へ繋がっています。
  荒川の整備により、中川は葛飾区西新小岩辺りで分離され、昔の中川は旧中川に、荒川の東側に新たに中川ができのです。


◎ 番所橋
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  旧中川から最初の橋が番所橋です。
  小名木川にかかる橋は全部で15本あり、うち3本が歩行者と自転車の専用橋です。


◎  塩舐め地蔵(宝塔寺)
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  小名木川から掘り出された地蔵で、宝塔寺に安置されたと伝えられています。江戸時代、小名木川を通る商人たちが、商売繁盛を願って塩を備えたのが由来と言われています。
  地蔵尊に供えられた塩をつけると疣(いぼ)が取れるといわれ「疣取り地蔵」とも呼ばれています。


◎ 塩の道橋
  小名木川にかかる2本目の橋で、歩行者と自転車の専用橋です。
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  平成20年に架設された、「塩の道橋」です。小名木川景観と調和を図るため木を感じさせるデザインになっています。
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  明治時代の小名木川沿いの光景をあらわしたプレートが、塩の道橋に掛けられています。


◎ サンロード中の橋
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  大正7年8月に誕生されたとされる歴史ある商店街で、300mの通り沿いに約100店舗が軒を連ねています。
  小名木川から竪川に結ぶ通りで、都営新宿線大島駅から約200mのところにあります。
  午後3時から8時までは歩行者天国となり買い物客で賑わっています。


◎ 大島稲荷神社
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  丸八橋のたもとにあるこの神社は、慶長年間(1648~52)に創建され、大島村・大島町の鎮守として祀られたと伝えられています。

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  神社に、松尾芭蕉の句碑があります。

  『秋に添て行はや末は小名木川』 松尾芭蕉が奥の細道に旅立ちする前の句で、境内の森から川の流れを眺めながら詠んだ句と言われています。

  もう一つの句碑には、『五月雨をあつめて早し最上川』とあり、松尾芭蕉奥の細道旅立三百年記念句碑と書かれています。

  左の写真は、平成12年月19日の大島稲荷神社350年大祭に建立された俳聖松尾芭蕉翁像です。



◎ 丸八橋
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  小名木川に架かる3本目の橋は、昭和47年(1972)に架設されました。
  この橋がある通りは、橋の名前から「丸八通り」とつけられました。この通りは墨田区文花から江東区の南砂を結ぶ通りです。墨田区文花では明治通りに合流し都内を環状のように走っています。


◎ 砂島橋
  塩の道橋と同様、小名木川に架かる2本目の歩行者と自転車の専用橋です。
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  昭和54年(1979)に架設されました。


◎ 小名木川旧護岸
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  地盤沈下が続いた町を水害から守るため、度重なる護岸のかさ上げをしてきました。このため、構造的に脆弱となったため、大地震発生した際の護岸崩壊が心配されました。
  河川整備事業により、平常時の水位を周辺地盤より低く保つ「水位低下対策」が平成5年3月に完了しました。
  これまで水害から地域を守ってきた「かさ上げ護岸」の歴史を後世に伝えるため、「塩の道」の再生に当たりその一部を、砂島橋のたもとに保存しています。



  この先は、「名木川・塩の道~大島をゆく(2)」に続きます。



by ken201407 | 2016-01-13 20:29 | 街歩き

徒然にデジカメで撮った写真を掲載します。


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