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鬼平ゆかりの地を歩く~清水門外役宅周辺

  池波正太郎著書『鬼平犯科帳』の舞台となった場所を、 ひとりで気ままに訪ねてみることにしました。

 小説に描かれているところを切絵図で調べ、現代地図で確認する。当初、簡単に考えていたがいざ始めるとなかなか難しい。

  人文社発行の『江戸切絵図にひろがる鬼平犯科帳 雲霧仁左衛門』などを参考にしました。
  とはいっても、多少の偏見・脱線があるかと思います。鬼平ファンを自称する諸兄にとってはご不満のところが多々あるかとは思いますがご容赦願います。

  まず第1回目は、清水門外の長谷川平蔵役宅と妻久栄の実家さらにその周辺数カ所を訪ねました。 


① 火付盗賊改方長官長谷川平蔵役宅
 清水門外に役宅を設定したいきさつについて、『〔鬼平犯科帳〕を書くとき、京都から江戸へ帰任した長谷川平蔵が、一時、目白台に屋敷をもらっていたので、どうも、小説の上から、これを役宅にしてしまうと不便のような気がして、清水御門外に〔御用屋敷〕と切絵図にあるのを利用させてもらい、ここへ役宅を置き、目白台の屋敷には、長男辰蔵に留守番させることにした。』と、池波正太郎さんは「江戸切絵図散歩 池波正太郎」に書いていました。
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  写真の手前が清水門、中央の高いビルが九段第3合同庁舎で、役宅設定の場所です。
  役宅は、長官・長谷川平蔵、与力、同心の仕事場であり、平蔵・久栄夫婦の生活の場でもありました。
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  清水門は、正面の高麗門、その右手の櫓門で構成する枡形門です。


② 久栄の実父、旗本・大橋与惣兵衛親英の屋敷
  大橋与惣兵衛の屋敷については、 「長谷川家と大橋家とは、むかし、本所で屋敷がとなり合せてい、親交がふかい。大橋家は二百俵取りの旗本で、与惣兵衛の代になってから種々の御役に就き、屋敷も現在は、神田小川町へかわっている。」(3巻「むかしの男」)と書かれています。
  当時の神田小川町は、現在の神田神保町1丁目にあたります。
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  写真は神田神保町の交差点で、正面が神田神保町一丁目の北部になります。
  平蔵と久栄が結婚するいきさつは「むかしの男」に詳しく書かれています。


③ 旗本・永井弥一郎の屋敷
 永井弥一郎は旗本・渡辺丹後守の義弟・吉野道伯にだまされ、女賊・お絹と関わって家を捨て出奔し、その後、弥一郎は盗賊の一味となり、江戸にもどり権兵衛酒屋の亭主となるのです。
  出奔前の屋敷について 「永井弥一郎は、神田の今川小路に屋敷を構える、これも六百石の旗本で・・・」と書かれています。(17巻「鬼火」)
  当時の今川小路は、現在の神田神保町3丁目で専修大学の西側の道を靖国通りのさきまで南下した通りになります。
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  写真は靖国通り側から北側を撮ったものです。


④ 俎板橋
  「またしても、俎板橋のたもとに出ているだんご屋で、餡ころ餅をしこたま買いこみ、ふとんの中へもぐりこんで絵草子でもめくりながら、むしゃむしゃと食っていたのであろう」と同心・木村忠吾が長谷川平蔵から一喝される場面があります。読んでいて思わず笑みがこぼれる描写です。(10巻「五月雨坊主」)
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  橋の真上は首都高速5号池袋線が、橋下は日本橋川が役宅(九段第3合同庁舎)の裏側から日本橋を経て隅田川に流れています。
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  上の写真は、俎板橋から九段第3合同庁舎方面を望んだ光景です。


⑤ 九兵衛の居酒屋
  「清水門外の火付盗賊改方・役宅からも程近い九段坂下に、雨や雪がひどいときでないかぎり、毎夜のごとく葭簀張りの居酒屋が出る。亭主は九兵衛といい、五十五、六の老爺で・・・(中略)。売り物は燗酒に、いわゆるおでん・・・といっても、(中略)豆腐と蒟蒻を熱した大きな石の上で焼き、柚子味噌をつけて出す田楽。これが、おでんのはじまだったのである。」(11巻「密告」)読んでると思わず唾を呑み込みそうになります。
  1巻「老盗の夢」では九兵衛の名前は出てこないが、「九段坂を下りきって、濠端をちょいと右に入ったところに葭簀張りの居酒屋がある。(中略)喜之助は、竹下主水正屋敷の塀ぎわにうずくまり、道をへだてた向こう側の居酒屋を見つめた。葭簀の間から、三人が、こちらに背を向け熱燗の酒を飲んでいる。」と書かれています。
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  写真は九段坂なかほどから坂下をとらえた光景です。交差点の先左側に、江戸時代に出店が出ていたのではないかと思われます。


⑥ 御絵師・墨川宗信邸
  「火付盗賊改方の人相描きを描いているのは幕府御抱えの〔御絵師〕墨川宗信の内弟子で、竹垣正信という若い絵師であった。墨川屋敷が火盗改方・役宅に近い中坂にあり、正信は師匠の屋敷に住みこんでいたから、万事につごうがよかった。」(6巻「盗賊人相書」)と書かれています。
  中坂は、九段坂と冬青木坂(もちのきざか)の中間にあります。
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  江戸切絵図では中坂の途中に「田安イナリ」が書かれていますが、現在は「築土神社」になっています。


◎ 江戸切絵図
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  絵図上の赤色丸数字は、上記の項目を表わします。ただし、②と③は町名が記されているところに表示しています。(場所の確定を示しているのではありません。)


◎ 江戸名所図会
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  左の坂が九段坂、中央が中坂、下の橋は俎板橋、その右側は町屋でこの周辺に九兵衛の居酒屋やだんご屋が出ていたのではないでしょうか。


◎ 今回の歩いたコース
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  神保町駅から市ヶ谷駅まで約4km、途中の休憩を入れ約3時間半の行程でした。
  途中で降り出した雨が、靖国神社ではどしゃ降りになり、カメラが濡れるのではないかと心配しながら市ヶ谷駅に急ぎました。

◎ 以下はコース途中で撮った写真です。
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  神田神保町の古書店
  建物が町の歴史を物語っています。

  北の丸公園内
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  清水門をくぐると北の丸公園です。
  石段は昔のままのようで、江戸時代に戻ったような錯覚を覚えました。

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  北の丸公園内の紫陽花
  紫陽花が雨に濡れてしっとりとしていました。

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  靖国神社の鳥居
  ここでは、雨はまだ小雨でしたが、参道を歩いているうちに雨が強くなってきました。

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  靖国神社 本殿
  雨が降っても参詣者は途切れることはないようです。

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  富士見坂
  靖国神社の塀と法政大学に挟まれた坂道。
  ここから、富士山がよく見えたそうです。今は高いビルで見えなくなりました。
  ここで雨はさらに一段と強くなりました。



by ken201407 | 2015-06-19 20:07 | 鬼平犯科帳

徒然にデジカメで撮った写真を掲載します。


by ken201407
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