吉良上野介邸跡を訪ねて
2017年 12月 12日
都指定旧跡・吉良邸跡 全景(本所松坂町公園)
12月に入ると、昔は、映画やTVでよく「忠臣蔵」が放映された。
最近では、まったくと言っていいほどない。
最近、ネットで、1958年公開の大映映画「忠臣蔵」、1961年公開の東映映画「赤穂浪士」の2本を続けて観た。
やはり、昔の時代劇俳優による時代劇は演技に重厚さがあり、面白かった。
2本とも、それぞれの映画会社の看板スターが勢揃いする。それを見るだけで非常に価値ある映画。
今の映画製作費に換算すれば莫大な金額になるだろう。
映画を観て思い立ち、両国に向った。
これまで何度も訪れているが、この時期は格別のものがある。
毎年、ここで「義士祭」がおこなわれている。
ことしは9日(土)と10日(日)におこなわれて、すでに終わっていた。
訪れたのが、午後の時間だったためか、訪れる人は、パラパラだ。
吉良公御首級(みしるし)洗い井戸
吉良邸裏門跡(写真中央に案内標札が建っている)
当時の屋敷は、東西に132m、南北に62mと細長いが広大な敷地だった。
現在、邸跡として残っているのは、当時の86分の1の広さという。
米屋として吉良邸の動向を探っていたそだ。
赤穂浪士が討ち入り後、回向院に休息を申し出たが断られたため、両国橋たもとの広小路で休息をとったといわれるのがこの付近になる。
写真の反面が、当時の両国橋東詰にあたる。
赤穂浪士が両国広小路で休息をとったのち、泉岳寺へ引き上げるため渡った橋。
当時の両国橋は、登城のための通行路となっていたため、この橋を避け一之橋から深川を経て、永代橋を渡り泉岳寺に向った。
3年前、江東区内の赤穂浪士引き上げるルートを歩く「赤穂浪士 ふかがわ古道をゆく」というウォーキング、全ルートを踏破する「赤穂浪士引き上げルート踏破ウォーキング」に参加した。
当時の記録を、当ブログで紹介しているので、見ていただければ幸いです。
by ken201407
| 2017-12-12 10:46
| 歴史散策