鬼平を歩く『唖の十蔵』~神田、浅草、押上

 今回は、鬼平犯科帳の文庫版では最初の物語(第1巻第1話)『唖の十蔵』の舞台です。
 物語の途中の天明七年九月十九日、盗賊改方の長官が掘帯刀から、四百石の旗本・御先手弓頭をつとめる長谷川平蔵宣以(のぶため)に交代します。

 第一話ということもあって、盗賊改方の役目・仕組み、町奉行との違い、探索費の苦労などが語られています。


◎ あらすじ
 火付盗賊改方同心・小野十蔵は、寡黙ゆえ”唖の十蔵”と仲間内から呼ばれた。寡黙になった一因は、持参金百両付きでもらった嫁が、それを盾に胸を張り肩をそびやかすことにあった。
 与力・佐嶋忠介から、兇賊・野槌の弥平の一味で、浅草・新鳥越町で小間物屋「越後屋」を営む下総無宿の助次郎を探るよう指示されていた。
 見張っていた店が閉まっているのを不審に思い踏み込むと、絞殺された助次郎の傍で女房”おふじ”が泣き崩れていた。問いただすと、三カ月の身重で、夫助次郎の理不尽な仕打ちと暴力に耐えきれず、寝ている間に絞め殺したのであった。
 本来ならば役所に引き立て取り調べるのであるが、十蔵はその場で遅くまで取り調べていた。調べを進めるうち、おふじに対する同情と憐れみから、押上村にある十蔵の祖母方の縁者の家に預けるのでした。そのうち、人に見られぬように、日が暮れておふじの小屋を訪れるようになったのです。
 おふじは、十蔵からひとりで出歩いてはいけないといわれていた。しかし、半月も十蔵が姿を見せぬのでさびしくなり、気ばらしがてらに柳島の妙見堂へ参詣にでた。
 その帰り、門前の茶店で助次郎の兄貴分・梅吉を見かけ、連れの男と「明後日にまたここで」と話すのを聞き、そのことを十蔵に伝えます。
 その日、十蔵ほか同心と捕手が、柳島・妙見堂一帯を張り込んだが、梅吉には逃げられた。しかし、連れの男・小房の粂八を捕えた。役所へ引き立て、拷問部屋で責めるが、しぶとい。
 表門に届けられた手紙を門番から受け取った小野十蔵は、すぐに役所を出た。
 十蔵が帰ったことを聞き、不審に思った就任早々の長谷川平蔵は、取り調べに口を割らぬ粂八に対して凄まじいばかりの拷問で取り調べを行ったのです。


1 浅草・新鳥越町の光照寺
 小野十蔵が、目ざす家の前に立ったのは、その日も夕暮れになってからである。
 光照寺という寺の横手に、その小間物屋があった。

 そこは、浅草も北のはずれの新鳥越町四丁目の一角で、大川(隅田川)の西側二つ目を通る奥州街道が山谷堀をわたり、まっすぐに千住大橋へかかろうという、その道すじの両側に立ちならぶ寺院のすき間すき間に在る町家の一つであった。
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 浅草・新鳥越町の町名は今はなく、新鳥越町四丁目は、現在の台東区清川1丁目にあたります。
 光照寺は江戸切絵図には記されていますが、同地には「光照院」が、正保3年(1646)に起立され現在に至っています。光照院のことを光照寺で掲載されたと推測されます。


2 神田・昌平橋北詰の加賀っ原
 すぐに十蔵は身なりをあらためて、神田・昌平橋北詰の加賀っ原の北側にある〔小川や〕という茶漬屋をたずねた。

 小野十蔵は、昌平橋北詰の〔加賀ッ原〕へあらわれている。
 むかし、ここに松平加賀守の屋敷があったので、この名が残っているのだが、数千坪におよぶ宏大な原は、不気味な闇にぬりつぶされていた。

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 松平加賀守屋敷跡の雑草が生い茂る原っぱは、現在の千代田区外神田1丁目あたりになります。写真は、昌平橋交差点の東側・外神田1丁目を撮っています。中央上部はJR 総武本線の高架橋です。秋葉原駅は、中央の高いビルの下になります。


3 押上村の百姓家
 亀戸との境をながれる天神川の西側に、斉藤摂津守の下屋敷があり、そのうしろの林を外れたところに百姓・喜右衛門の家がある。
 小野十蔵が、おふじを押上村の喜右衛門方へあずけたのは、喜右衛門の家が十蔵の祖母の縁者であったからだ。

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 天神川とは、押上と亀戸の間流れる横十間川のことで、亀戸天神付近を天神川と呼んでいたようです。
 斉藤摂津守下屋敷は、上写真の川の右側低い建物がある付近(現:墨田区横川5丁目)にありました。そのうしろの林とは、高いビルが建つ付近のことだろうと思われます。

 横十間川の亀戸側の川沿いに、萩寺で有名な竜眼寺があり、萩の時期には大勢の参拝者が訪れています。


4 妙見堂
 気ばらしがてらに柳島の妙見堂へ参詣に出た。
 
 参詣をすまし、妙見堂前の蕎麦屋へ入って腹を満たしているとき、彼女は思いがけぬ人を見たという。

 翌日の午後になると、柳島・妙見堂一帯には、小野十蔵のほかに同心二名、捕手五名が、いずれも人目にたたぬ変装をして張り込んだ。

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 妙見堂は、北極星を具像化した開運北辰妙見大菩薩を祀っており、「妙見さま」とよばれ、芸人たちから特に信仰されていました。また、葛飾北斎が信仰した寺としても有名です。
 歌川広重の名所江戸百景『第32景 柳しま』で、妙見堂、門前の料亭「橋本」、柳島橋などが描かれています。
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 妙見堂を祀っている法性寺は、柳島橋西詰(現:墨田区業平5丁目)にあり、上写真の川の左岸に樹木の植わっているところです。中央茶色のビルの建つ付近に料亭「橋本」がありました。川の上部の青いパイプ管の向う側に柳島橋があります。


5 柳島橋
 梅吉と男は、すぐに奥から出て来た。連れだって何処かへいくらしい。
 二人は、天神川にかかる柳島橋へかかる。

 橋のらんかんへはね上がった彼は、すさまじい勢いでらんかんを突っ走り、なぐりこむ捕手の十手をかわしつつ、あっという間に橋をわたって東詰の道へ飛び降りた。

 同時に梅吉は、目の前の堀左京亮下屋敷の塀へ飛びつき、くるりと躰を反転させて邸内へ消えてしまった。

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 柳嶋橋は、横十間川に架かる、業平5丁目(法性寺前)と亀戸3丁目を結ぶ橋で、横十間川が北十間川と分流する手前にあります。
 橋向こうにそびえ立つのが東京スカイツリー、ここからだと大きく見える。
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 上写真は、柳島橋上から横十間川の東側を写したものです。中央左側のビルが建ち並ぶ一帯(現:亀戸5-35)が堀左京亮下屋敷のあったところです。


6 王子稲荷・三本杉橋跡
 江戸郊外・王子稲荷の裏参道にたちならぶ料理屋の中に、五年ほど前から開業している〔乳熊屋〕というのがある。
 この主人で清兵衛というのが、実は野槌の弥平だったのである。

 いずれも近くの百姓などに変装していたし、平蔵自身は荷をつんだ馬をひいて裏参道を行き、乳熊屋と道をへだてた三本杉橋のたもとまで来るや、
 「それ!!
と、合図の手を上げる。

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 王子稲荷は北区岸町1丁目の王子稲荷神社で、裏参道とは神社の南側にある「王子稲荷の坂」のことではないかとおもわれます。坂の途中から神社の境内に入ることができます。平日は、こちらからしか境内に入れません。

 江戸時代、この坂を登ると日光御成道があり、中仙道につながっていたため、稲荷道と呼ばれ、中仙道から来る参詣者に利用されたそうです。
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 三本杉橋は、今はなくその跡碑が北区王子本町1丁目に残っています。
 王子稲荷神社と三本杉橋跡は、『鬼平ゆかりの地を歩く~巣鴨から王子権現』(2015.7.24更新)にも登場しました。

 
7 エピローグ
 小房の粂八の白状により、兇賊・野槌の弥平の一味を取り押さえ、七日後には磔の刑に処せられた。
 小房の粂八の処刑は、白状をしたことで、処刑は一応延期のかたちをとった。
 (のちに、粂八は長谷川平蔵に度量に惚れ、密偵になるのです)

 小野十蔵は、長谷川平蔵にあてて一通の遺書を残し自害した。十蔵死後三日目の朝に、深川仙台堀におふじの水死体があがった。

 おふじが助次郎との間で生んだ女の子・お順は、押上村の喜右衛門が預かっていたが、盗賊の子と知って持て余した。
 これを知った、長谷川平蔵は妻女・久栄に「その子をひきとってやろうと思う」というのでした。そして、こうつぶやくのです。
 「おれも妾腹の上に、母親の顔も知らぬ男ゆえなあ……」









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by ken201407 | 2017-05-13 13:19 | 鬼平犯科帳 | Comments(0)

徒然にデジカメで撮った写真を掲載します。


by ken201407
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