鬼平を歩く『雨隠れの鶴吉』~ 神田、日本橋、深川

 今回は、第11巻7話の『雨隠れの鶴吉』の舞台を歩きました。
 今回の舞台は、神田須田町、日本橋室町を中心に目黒、本所・深川と広範囲にわたっています。したがって、一日では無理なので、数回に分けて行ってきました。

 タイトルの「雨隠れ」とは、雨宿りのことで、これは盗賊の引き込みを寓した異名のことです。

 
◎ あらすじ
 十二年振りに、なつかしい江戸へもどってきた盗賊・雨隠れの鶴吉は、女賊のお民を女房にしていた。
 鶴吉は、日本橋室町二丁目の大きな茶問屋・万屋源右衛門が女中おみつに生ませた子だった。
 鶴吉夫婦が、深川八幡へ参詣した帰りに立ち寄った、新大橋東詰の茶店の老婆は、鶴吉の乳母お元だった。その数日後、乞食坊主になった井関録之助が托鉢で茶店に訪れたときも、鶴吉とお元婆さんが話し込んでいた。
 鶴吉夫婦が滞在する旅籠のもとへ、お元の案内で訪れた源右衛門は、鶴吉を店の跡取りと考え、「万屋」に逗留するよう涙声で頼むので、二・三日の約束で万屋に引き移った。
 その二日目、お民は盗賊・貝月の音五郎が下男として住みこんでいるのに気付いた。
 その夜、お民からこのことを聞いた鶴吉は、急ぎばたらぎの盗賊だったら、親父をはじめ、奉公人の身が危ないと心配するのでした。


1 須田町の旅籠
 二人は、大坂の伏見町にある唐物屋・坪井清兵衛の息子夫婦が江戸見物に来たというふれこみで、内神田の須田町一丁目の旅籠〔木槌屋与八〕方へ旅装を解いた。
   (中略)
 須田町は、江戸開府以来の古い町で、さまざまな商家が櫛比しているが、近くには江戸の青物市場(連雀町)もあって、町に活気がみなぎっている。
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 現在の神田須田町1丁目16番地に「神田須田町一丁目」の町名由来の説明板が建っています。それによると、次のようなことが書かれていました。
 『 江戸時代の須田町は、現在の神田須田町一丁目とほぼ同じ範囲。江戸期の町内は、菓子屋や薬屋、塩や油を扱う問屋、神具や仏具を売る店などさまざまな商品を扱う店があった。 』
 上の写真は、須田町交差点から南側を撮っています。中央奥に延びる道路の両サイドが須田町一丁目です。

 江戸時代の連雀町は、現在の靖国通りとその南側の神田須田町1の一部で、狭い町だった。
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 写真左側に、「神田青果市場発祥之地」碑が建っています。この通りは、多町大通りでこのあたり一帯が青果市場だった。


2 新大橋東詰の茶店
 それは、江戸へ着いて半月目のことであったが……鶴吉夫婦は深川八幡へ参詣しての帰りさ、大川(隅田川)へかかる新大橋・東詰に出ている葭簀張りの茶店で足をやすめた。
 「おや、まあ……」
 茶を運んで来た茶店の老婆が、鶴吉を見て驚愕の声をあげ、
 「万屋の、若旦那じゃあございませんか」

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 深川八幡とは、江東区富岡にある富岡八幡宮の別称で、横浜市の富岡八幡宮を本社としています。「深川の八幡様」、「江戸最大の八幡様」と親しまれ、信仰されています。
 富岡八幡宮の例祭「深川八幡祭り」は、赤坂日枝神社の「山王祭」、神田明神の「神田祭」とともに、江戸三大祭りに一つに数えられています。今年は三年に一度の大祭にあたります。

 現在の新大橋は、当時より300m川上へ移動しています。当時の橋があった場所には、旧新大橋跡の碑(上写真)が建っています。

 鶴吉の母・おみつは、鶴吉を生んだ翌年に急死した。
 鶴吉にとって、母が顔もわからぬうちに死なれたので、乳母のお元が母のようであり、頭があがらなかった。
 

3 日本橋室町の茶問屋〔万屋〕
 万屋は、日本橋・室町二丁目にある大きな茶問屋で、源右衛門は養子であった。万屋のひとり娘だったお才との間には、当時、十五年も子が生まれず、そのかわりに、そっと手をつけた女中が男の子を生んだ。
 これを知ったとき、妻のお才の激怒は凄まじいもので、たまりかねた源右衛門は、おみつと鶴吉を、本所・小梅村の寮へ移したのである。

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 茶問屋・万屋がある日本橋・室町二丁目は、現在の日本橋室町2丁目の「コレド室町1」あたりになる。

 万屋の寮がある本所・小梅村は、現在の墨田区横川1のJT(日本たばこ産業)の敷地になっている。この場所については、『鬼平を歩く~「敵」から押上南地区』(2015.10.28更新)に登場しています。

 万屋の寮(別荘)にいた鶴吉は、乳母のお元に連れられて、長谷川平蔵や井関録之助が通う高杉道場に来て、稽古を飽きもせずながめていた。録之助は、道場の行き帰りに寮により鶴吉と遊んだり、お元から酒を馳走になったりした。


4 石原新町
 鶴吉が十六になったとき、もはや、子を生む自信を失ったお才は、他家へ嫁いだ妹の子の庄次郎を養子にし、病床に親しみがちだった源右衛門にことわりもなく、本所の寮にいたお元と鶴吉を追い出してしまった。
 いくらかの金をもらって、あきらめのよいお元は石原新町へ小さな家を借りて鶴吉と共に移った。

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 石原新町は、牛御前旅所(現:摂社若宮牛嶋神社)の東側で、現在の墨田区本所3丁目から石原3丁目にかけての一部にあたる。
 摂社若宮牛嶋神社は、現在本所2-2の若宮公園の中に鎮座している。上の写真、若宮公園内で、左側の赤い社が若宮牛嶋神社、公園の向う側が本所3丁目で、石原新町だったところです。

 お才の仕打ちに、憤りを抑えることができなかった鶴吉は、十七歳の秋に、万屋に火をつけ、江戸から逃げた。


5 本小田原町の通り
 鶴吉が出て行って一刻(二時間)ほどたってからお民が女中に、
 「買い物に行って来ますが、すぐにもどりますよ」
 いいおいて、万屋の裏口から出て行った。
 この日も、おだやかに晴れわたった空に、南へ去る渡り鳥を見ることができた。
 お民は、本小田原町の通りを東へすすみ、掘割に突き当たってから右に折れた。
 前方に、江戸橋が見える。このあたりは江戸の魚市場に近いので、種々雑多な店が立ちならび、人通りがはげしい。

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 本小田原町の通りは、現在の日本橋「中央通り」の室町1丁目5と6の間を東に入る通称「むろまち小路」(上写真)に相当する。
 お民の歩いたルートを現在に置き換えると、”コレド室町1を出て、中央通りからむろまち小路をぬけ、昭和通に出たところで右に曲がった”、ということになる。


6 思案橋のたもと船宿〔加賀屋〕
 その人ごみをぬって、お民へ追いついて来た男がある。
 万屋の飯たき男に住み込んでいる貝月の音五郎であった。
 お民と肩をならべ、何気ない様子で歩き出した音五郎は鼠色の布で頬かぶりをしていた。
   (中略)
 音五郎が今度は先に立って歩きはじめた。
 そこから程近い堀江六軒町の入り堀に懸る思案橋のたもとに、加賀屋という船宿がある。

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 堀江六軒町の入り堀は東堀留川で、日本橋川から思案橋で分流し、親父橋を経て堀留に至る入堀で、親父橋の東詰が堀江六間町(現在の中央区日本橋人形町3-4辺り)になる。
 思案橋は、現在の日本橋小網町の小網児童遊園(上写真)前の路面が盛り上がった道路付近です。
 親父橋は、『のっそり医者』(2017.4.28更新)の「3 照降町の翁屋」の項でも登場しました。
 
 加賀屋で、お民は音五郎に、“亭主は、私が昔盗っ人だったことは知らない。万屋の中で声をかけられては困る。明日は、上方へ発つ、発った後のことは知ったことじゃない” と、いうのでした。


7 目黒不動の惣門
 それより半刻ほど前に、雨隠れの鶴吉は、井関録之助の小屋を訪れていた。
   (中略)
 「今日は井関さんに、鶴吉、一生一度のおねがいにがあってまいったのです」
   (中略)

 この日、雨隠れの鶴吉は、井関録之助と共に小屋を出て、目黒不動へ参詣し、惣門前の稲葉屋という料理屋へ入った。
 ここは、筍飯が〔名物〕であるが、いまは、その季節ではない。
 鶴吉と録之助は一刻ほど、豆腐の田楽で酒をくみかわし、語り合い、それから白金の通りで別れた。

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 井関録之助の小屋は、品川の八つ山に近い雑木林にある。
 目黒不動は、目黒区下目黒3-20にある、泰叡山・瀧泉寺(通称:目黒不動尊)のことです。写真は、仁王門で、惣門は現在ありません。江戸名所図会によると、仁王門の手前の伏見稲荷と参道が東側に折れる箇所との間にあったと思われる。
 二人が別れた白金の通りは、行人坂をのぼって白金方面の通りのこと思われます。
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 写真は、行人坂の坂下から坂上を写しています。二人が分かれたのは、坂の手前目黒川の太鼓橋あたりではないかと思われる。ここから、日本橋室町の万屋までは約10km、品川の八つ山までは約3kmの距離があります。

 鶴吉は、音五郎の一味が後をつけているのを承知で、録之助を訪ね、すべてを打ち明け、助けを求めたのでした。


8 盗賊の押し込み
 室町二丁目の茶問屋・万屋源右衛門方へ、盗賊一味が押し込んだのは、年が明けて、正月十日の夜であった。
 盗賊の首領は
〔稲荷の百蔵〕
 といい、上州・武州を股にかけて急ぎばたらきをする兇盗で、貝月の音五郎は、その稲荷一味の引き込みをしていたのである。
 長谷川平蔵は、井関録之助の通報を受けるや、すぐさま手配りをした。
 万屋のとなりの、山吹茶漬というのを売り物にしている三河屋という風雅な料亭の二階座敷を見張り所にし、飯たきの音五郎の挙動を、ひそかに監視した。
   (中略)
 裏道の両側へ、いくつもの高張提灯があがり、長谷川平蔵を先頭に盗賊改方三十六名が、ひたひたと押しつめて来た。
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 日本橋コレド室町1はその裏にコレド室町2が建っている。その間の通路には、和風づくりのお店が並んでいます。

 鶴吉は録之助を訪ねた翌日、源右衛門あての手紙を残し、ひそかにお民と旅立ちます。
 その夜、録之助は長谷川平蔵を訪ね、“万屋に盗賊の引き込み貝月の音五郎が入り込んでいる”ことを告げたのでした。


9 エピローグ
 鶴吉が子供の頃、長谷川平蔵から飴玉を買ってもらったことを覚えていた。
 録之助から、あのころの本所の銕がいまを時めく盗賊改方・鬼の平蔵その人と聞いて、目をむいてびっくりした。

 稲荷一味が盗賊改方に捕えられて五日後、熱海の温泉では、鶴吉夫婦と録之助が落ち合っていた。
 盗賊改方の手が伸びるのを心配する鶴吉夫婦に、録之助が
 「なあに、何も彼もお見通しらしいが、まさかおれにお縄をかけるわけにも行くまい。だって、稲荷一味の召し捕りには、おれと、お前さんたちが一役も二役もつとめているのだ。ごほうびも出ねえかわり、差引き何のとがめもねえということだ。そのかわり、二人とも……
   (中略)
 二度と、江戸の土を踏んではならねえ。わかっているな」

と、長谷川平蔵はすべてお見通しということを、二人に言い聞かせるのでした。




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by ken201407 | 2017-05-04 17:41 | 鬼平犯科帳 | Comments(0)

徒然にデジカメで撮った写真を掲載します。


by ken201407
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