小塚原刑場跡を訪ねて
2016年 10月 27日
現在の南千住は、JR常磐線、東京メトロ日比谷線、つくばエキスプレスが乗り入れる交通の要所地域です。
江戸時代の南千住は、日光街道の千住宿拡大により、小塚原町も加えられ南宿(下宿)と呼ばれていました。
また、小塚原刑場もありました。鈴ヶ森刑場(品川区南大井)、大和田刑場(八王子町大和田)をあわせて三大刑場と呼ばれていたのです。
南千住駅前に浄土宗延命寺があり、そこに首切り所像が祀られています。
そこに掲出してある案内によれば
「小塚原刑場は、火罪、磔、獄門などがの刑罰、無縁の埋葬・供養、刀の試し切り、腑分け(解剖)などが行われ、また、徳川家の馬の埋葬地としても利用された。」
また、首切り地蔵については
「首切地蔵は、寛保元年(1741)に造立された石造の延命地蔵菩薩である。無縁供養のため、建てられたといわれる。」
延命寺は昭和57年に、小塚原回向院から分離独立して、刑場跡地に開山しました。
小塚原回向院は、ここから北側に位置しています。
平成23年の東日本大震災で、首切地蔵の左腕が落下し、胴体部分も大きくズレるという被害があったそうですが、現在は修復されていました。
by ken201407
| 2016-10-27 23:02
| 歴史散策