鬼平を歩く~『顔』から品川宿
2016年 09月 26日
「鬼平を歩く」の今回は、『顔』の舞台となる品川宿を取り上げました。
この物語は、終始品川宿、特に品川寺の周辺が舞台となっているのです。品川宿祭りのおこなわれている昨日、歩きました。
上の写真は、品川寺前の通り。
この物語は、終始品川宿、特に品川寺の周辺が舞台となっているのです。品川宿祭りのおこなわれている昨日、歩きました。
◎ 『顔』のあらすじ
二十数年前に公儀の罪を受けて切腹した井上惣助を、長谷川平蔵が高輪の太子堂前で見かけます。亡霊かそれとも生きていたのかと不思議に思い、彼の後をつけます。
彼は、南品川の品川寺に接したところに住んでいた。彼の家に押し込んむ、浪人と町人風の男の三人を見た、長谷川平蔵は彼らを取り押さえます。
井上惣助と思った男は盗賊の首領の軍師の役割をしていた男で、井上惣助の父が茶汲み女に生ませた子だった。彼は首領と仲たがいし、首領の金を盗んだのです。
浪人と町人風の男は、首領の指示で金を取返したあと彼を殺すつもりだったのです。
◎ 品川寺(寺に接して井上惣助の家があった)
慶応3年(1867)パリの万博博覧会に出品後行方不明になっていましたが、大正8年にジュネーブのアリゾナ博物館に保管されていることがわかり、返還交渉の結果、昭和5年に贈還されました
井上惣助の家設定は、鐘撞堂の南側(写真左)の木立に接しているところで、塀も生垣もないので鐘撞堂の裏から家の前にでられるとなっています。
長谷川平蔵が、井上惣助の家の前まで行ったあとこの前を通ると、浪人と町人風の音が3人この前でひそひそ話をしていました。
そのあと、3人は井上惣助の家へ押し込むのです。
◎ ジュネーブ平和通り(自身番があったところ)
品川寺の梵鐘を通じて品川区とジュネーブ市とが友好都市提携を結んだことから名付けられました。
長谷川平蔵の捕らわれた3人の男と井上惣助が連れて行かれた自身番は、この通りの右側辺りのようです。
◎ 北品川1丁目(煮売り屋・富五郎の店があったところ)
このあたりは、歩行新宿(かちしんじゅく)三丁目といわれ、水茶屋や荒物屋、質屋などの店がたちならんでいたそうです。
この一角に、煮売り屋の富五郎に店が設定されています。
富五郎は、むかしお上に御用をつとめた男で、この日も、長谷川平蔵が見回りでここに立ち寄るし、品川寺周辺での捕り物にも富五郎が重要な役割を果たすのでした。
◎ 高輪神社・太子堂(長谷川平蔵が参詣する)
昔は、常照寺の仏堂でしたが、神仏分離令の影響により廃寺となったため高輪神社の境内社となっています。
長谷川平蔵は、品川宿の見回りを終え、ここに参詣に来ます。少年の頃、父の供で太子堂にきたことがあったのをおもい出したからです。
そうして、門を出たところで、井上惣助を見たのです。
それから、彼の後をつけ、品川宿に戻ります。富五郎の店の前を通りかかったところで、富五郎が尾行を引き受け、彼の家を突きとめるのでした。
この日は、男性はほとんどが侍の姿に、女性はお姫様から遊女までの様々な姿の衣装に身を包み、宿場通の散策を楽しんでいました。街に溶け込んだ衣装で見ていて好感がもて、楽しめました。
それとも、和洋折衷のモダンなスタイルなのだろうか?
坂本竜馬も着物姿に革靴で写真撮っているから・・・
by ken201407
| 2016-09-26 23:04
| 鬼平犯科帳