広重『名所江戸百景』巡り~大川端コース

  タイトルの「大川」とは、隅田川の別称で、吾妻橋下流の東岸近くを大川といいます。一方、西岸側は浅草川、吾妻橋から上流を宮戸川と言っていました。
  今回は、深川・森下をスタートして大川沿いに新大橋、清洲橋、永代橋を巡り、広重『名所江戸百景』の地4カ所を訪ねました。

  このコースで紹介する絵は、次の4景です。
   第58景 大はしあたけの夕立
   第56景 深川萬年橋
   第57景 みつまたわかれの淵
   第4景 永代橋佃しま
  (絵のタイトルをクリックすると、絵と説明が表示されます。)

◎ 新大橋周辺
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   (2015.2 撮影、新大橋の左下に清洲橋が小さく見える)

  新大橋は、両国橋に次いで元禄6年(1977)、現在より200m下流に架けられました。当時、両国橋は大橋ともいっていたので、新大橋と呼ばれました。後に、両国橋に対して大橋と称されました。

b0338976_1647979.jpg  現在の新大橋は、昭和52年(1977)に竣工しました。
 それ以前の橋は、明治45年(1912)にそれまでの木造道路橋にかわり、トラスト橋に架け替えられたものです。
  旧橋の一部は犬山・明治村に移設保存、親柱と高欄の一部は左側下流側橋詰に保存されています。
  また、左岸側橋名板は八名川小学校に街のシンボルとして保存されています。
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  右から「志ん於ほはし(しんおおはし)」と読みます。

 新大橋を中央区日本橋浜町側から見た光景が、1枚目の絵『第58景 大はしあたけの夕立』です。
  「大はし」は新大橋のこと、「あたけ」は周辺の地名で絵に描かれている一帯のことです。その名は、当地の御船蔵に係留していた幕府の木造艦の名が安宅丸だったことに由来しています。
  新大橋の左岸下流側に旧大橋親柱のそばに、「御船蔵跡」の碑が立っています。
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  写真中央のビルとビルの間にある低い屋根の建物付近が当時の新大橋江東区側橋詰にあたります。中央区側は写真左端付近になります。


◎ 清洲橋・萬年橋周辺
 2枚目の絵『第56景 深川萬年橋』は、萬年橋からの光景です。
  旧暦8月15日は仏教儀式である放生会に倣い、売り物の亀などの生き物を買い川に放す習わしがありました。橋周辺の砂村は亀の養殖地でした。
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  写真は、萬年橋上から絵と同じ方角を見たものです。
 
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  写真中央の橋が萬年橋です。小名木川に架かる橋で、隅田川と交わる河口にもっとも近い場所です。
 小名木川は、隅田川から旧中川までの約5㎞で、行徳の塩運搬を第一目的に徳川家康の江戸入府直後に開削されました。
  当初、萬年橋に船番所がありましたが、本所深川の開発に伴う江戸の拡大と舟運行の輻輳により、中川口に移転しました。
 
  3枚目の絵は、『第57景 みつまたわかれの淵』です。
  新大橋を下ったところに中洲と呼ばれる洲がありました。この中洲は観月の名所で、舟宿、料理茶屋、出茶屋が建ち、両国広小路をしのぐ歓楽街となりました。しかし、松平定信体制になり、元の葦の生えた浅瀬に戻りました。
  この中洲で隅田川が分かれ、箱崎川として分流していたため、中洲の分流点を「みつまた」と呼ばれました。
  明治19年(1886)に再度埋め立て造成がおこなわれ、中洲町が誕生しました。
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  写真は、芭蕉記念公園から見た清洲橋です。写真中央のビルが中洲のあった場所で、その右側に箱崎川が流れていました。

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  清洲橋は、震災復興橋梁として、昭和3年(1928)に新しく架け替えられました。橋名は深川区清澄町と日本橋区中洲町を結ぶところから名付けられました。
 隅田川入口にあたる第一橋梁・永代橋は筋骨隆々とした男性的なイメージで、第二橋梁・清洲橋は優美な下垂曲線を描く女性的なイメージで演出されました。二つの橋はセットで、土木学会で第一回選奨土木遺産に選定されました。また、東京都選定歴史建造物、2007年重要文化財に指定されています。


◎ 永代橋周辺
  永代橋が4枚目の絵『第4景 永代橋佃しま』の場所です。
  描かれた永代橋は、当時の隅田川にかかる江戸の最も長い橋でした。毎年11月から翌3月にかけて、篝火をたいて佃島沖でおこなわれていた白魚漁は江戸の風物詩でした。
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  旧永代橋は、現在の橋より上流150mの位置で、日本橋川豊海橋より上流にかかっていました。
 橋名は、永代の功徳という意味と永代島に因んで命名されました。
  佃島は、家康の招きで摂津佃村から34名の漁民が移住したのが起こりで、寛永年間に鉄砲津の東の干潟百閒四方の地を賜りました。毎年、白魚を獲って将軍家に差し出していました。

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  永代橋の近くに新川跡公園があります。新川は、現在の新川1丁目で亀島川から分岐し、この付近で隅田川に合流する運河でした。
 諸国から船で江戸へと運ばれる物資の陸揚げの便宜を図るために万治3年(1660)に開削されたものです。昭和23年、新川は埋め立てられ、「新川之跡」碑が建立され、公園が整備されました。


  ここが、今回のコースの解散地点です。ここまで、約3.5kmでした。
  このコースは、昨年4月に参加した時のものです。この日は4月とはいえ寒い時折小雨のぱらつく日でした。

  次回の『名所江戸百景』めぐりは、両国蔵前コースです。
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by ken201407 | 2015-04-24 06:16 | 歴史散策 | Comments(0)

徒然にデジカメで撮った写真を掲載します。


by ken201407
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